つながりを意識する時間を持つ

人生の終え方

皆さん こんにちは Enjoyseniorlifeサムです。
今日も引き続き 水野敬也さん著 
夢をかなえるゾウ ガネーシャと死神
 ガネーシャの教えより以下引用

   繋がりを意識する時間を持つ
     この世界にあるものは、ほんまは「同じものを」が変化し続けている ―
    んやけど、自分らはその一部だけを切り取って、岩・石・砂て名前を付けて
    別々のものとして認識している。そういうものの見方が当たり前になって
    もうてるから、全体と自分を分けてとらえてまうんや。(中略)
夢が生み出す苦しみから逃れる方法はな、目の前にある石が、かつては岩
だったことや、これから砂になることを思い出すことや。自分らが、岩・石・砂
に分けて呼んでるもんは、ほんまは繋がってる一つのものであり、その繋がりの
中に自分も繋がっとるちゅうことをな」

これは、仏教の教えに近いものも感じますね。確かに、私たちの「苦しみ」は
「執着」から生まれる。その執着しているものの本質は、人が認識している
モノではなく 全て同じものが形を変えているだけ・・?
  唯、なかなかそこまでの悟るのって難しそうな気がします。でも、受け容れ
られる、られないは兎も角 ガネーシャの教えが本質的に正しい様な気がして
きたりもします。何か何が何だか分からくなってきてしまった様な・・
皆さんは、如何でしょうか

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